地域のコンビニ介護屋|株式会社ナイスケア

ナイスケアの仲間達

ナイスケアの仲間達

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ケアメイト大岡山

佐藤 みあき

ケアメイト大岡山は、昭和30年に家政婦紹介所として設立した祖母の代から、「女性が働く場所をつくりたい」という思いを、現在も引き継いでおりますが、長い間続けていけるのは、たくさんの家政婦さん方が頑張ってお仕事して下さっているおかげだと思っています。
介護保険の制度が出来ても、自費でのケアやサポートを必要としていらっしゃる方は、まだまだ多くいらっしゃいますので、「困った時にはケアメイト大岡山に相談すれば何とかしてくれる」と、地域の方にも頼りにしていただいています。

また、ケアメイト大岡山では、初めてご紹介する時や交代する時には、ご利用者様やヘルパーさんにも安心していただけるように、出来るだけスタッフが同行するようにしています。
お陰様で、ヘルパーさんの中には、30年以上も働いて下さっている方もいらっしゃいます。私たちが支えられているヘルパーさんに「スタッフの皆さんが、いつも優しく話を聞いて下さるので仕事が続けられる」と仰っていただいて、心から感謝しています。

事業所の管理者として、家に帰れば3児の母として忙しい毎日ですが、子供たちも私が働いていることを、あたり前のように理解してくれています。体を動かすことが好きなので、休日には子供たちと一緒にサッカーをして、コミュニケーションをとるようにしていますし、毎年年末には主人の実家がある岩手に家族で行って、スキーやスノーボードをしています。
管理者としては、これからもご利用者様やご家族様、ヘルパーの方々に「ケアメイト大岡山に相談すれば何とかなる」と頼りにしていただける事業所であり続けたいと思っています。

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ケアメイト大岡山

佐藤 睦子

ナイスケアもそうですが、ケアメイト大岡山はスタッフの離職率がとても低いのが特徴です。産休を取って戻ってきた方も含め、子育てしながら働いているスタッフが多いので、子供の学校の行事等でお休みする時も理解があって、周りが相談しやすい環境にあり、とても働きやすいです。

また、ケアメイト大岡山の自費のヘルパーさんの紹介の他にも、ナイスケアには訪問介護や訪問看護等があり、社内で連携がとれていますので、介護保険の制度がわからないご家族様からの相談や、退院後在宅での生活が困難なご利用者様からの相談を受けることも多くあります。

個人的な話になりますが、私の趣味は週末に一時間位ウォーキングをすることとあちこちの風景写真を撮ること、そしてホームパーティーです。お休みには子供のいるお母さん達とどこかの家に集まって料理を作っています。一番人気は“牛肉のたたき”ですが、ほかに10品位作っていますので、私の趣味を知っているご利用者様の中は、新聞に載っている料理レシピの切り抜きを下さる方もいらっしゃいます。風景写真も、撮りためたものをなかなか外出できないご利用者様にみていただいて、ニーズを引き出すことにも繋がっていたりして、私が構えずに自然体で接することで、とても良いコミュニケーションが出来ています。

これからも、ご利用者様やご家族様のどんな思いにも応えられるようなサービスを続けていきたいと思っています。

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訪問介護ナイスケア大田

戸田 彩子

私がナイスケアで、仕事をするようになってから約17年になりますが、きっかけは、老人ホームで働いていた経験を活かして、“在宅の道へ進みたい”という思いからでした。
家が近かったこともあり、ナイスケアの面接を受けて、翌日から登録ヘルパーとして働きだしました。

それから目黒介護事業所のサービス提供責任者になり、10年前からは大田介護事業所の管理者として仕事をしています。
今まで、困難なこともたくさんありましたが、長い間この仕事を続けてこられたのは、仕事の悩みはもちろん、プライベートな相談にも乗ってくれるやさしい上司がいたり、ナイスケアが社員一人一人を、みんな家族のように考えて大切にしてくれる会社だからだと思います。

以前、目黒介護事業所に勤めていた頃、ナイスケアの社長や社員・その家族と、バンドを組んでいたこともありました。バンドのメンバーで夜遅くまで練習したあと、一緒に食事をしたり、会社の新年会の席で演奏したことは、今でもとても良い思い出になっています。そんなアットホームなところもナイスケアの魅力だと思います。

これからも、人と人とのつながり「縁」を大切にして、常に「一期一会」の精神でご利用者様に接し、ご利用者様の思いを一番に大切に考え、四角四面の型にはまらないサービスが提供できるよう、チーム一丸となって地域で活躍していきたいと考えています。

また、今後もさらに多様化していくニーズに対応できる事業所を目指していきたいと思っています。

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訪問介護ナイスケア世田谷

渡部 一利

私は岩手県出身で、介護の専門学校を卒業後、社会福祉協議会で3年間地域ボランティアセンターのコーディネーターや人材育成を行ったのち、4年間特別養護老人ホームの立ち上げからメンバーに加わり、介護スタッフをしながら総務・会計・送迎なども兼務していました。当時の施設は、ユニットケアに移行していくという流れの全盛期でしたが、ご利用者様の個別のご希望に沿うことは、実際には難しくてなかなか叶えられませんでした。施設に入所される前のご利用者様の生活にも興味がありましたが、実際には詳しくわからない状態でケアを行わなければいけない状況だったり、施設では実現できないことが多い中、訪問介護の事業所で、在宅ケアの仕事をしてみたいと思うようになりました。

その後、岩手から上京し、当時の住まいが近かったこともあり、6年前に訪問介護ナイスケア世田谷のサービス提供責任者として入社しました。
実際に在宅ケアのサービスに入ってみると、突発的に何かあった時には、一人で対応しなければならないという不安や責任はありますが、ご利用者様と1対1で接することができる時間が多くて、とてもやりがいを感じました。

世田谷介護事業所のカラーは、管理者の人柄がそのまま現れているような気がします。スタッフも誰が来ても入りやすいような雰囲気になるように心がけていますが、あたたかくて思いやりのある事業所だと思います。

介護は誰にでもできる仕事で、困っている方のお手伝いをするのも当たり前のことなのに、感謝されることもあり、とても幸せな仕事だと思っています。私は、最近では、障害者支援の担当をさせていただいていますが、車いすや白杖を持っている方と一緒に外出しているときに、まだまだ周囲の理解が足りないと感じることが多いです。障害を一つの個性と認識し、より多くの方が社会参加しやすい環境になって欲しいと願っています。

世田谷事業所としては、ナイスケアのキャッチコピーでもあります“地域のコンビニ介護屋さん”として、たくさんの方に知っていただき、困った時には何でもご相談いただける事業所を目指していきたいと思っています。

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ナイスケア大田介護センター

松下 景子

介護福祉士の資格を取得して専門学校を卒業後、病院で介護職を約6年、有料老人ホームの介護職を2~3か月、デイサービスの相談員を約8年経験後、ナイスケアに入社して2年目になります。

デイサービスの相談員をしていた時に、ケアマネジャーの方とかかわりを持つことが多くなりました。デイサービスだけでは、ご利用者様の見えない部分も多く、深くかかわり、生活全般の様々なニーズなどに対応いくには、ケアマネジャーの仕事に就いた方が、見えてくる部分が多いのかも知れないと思うようになりました。

ケアマネジャーの資格を取ってからも、デイサービスの相談員の仕事を続けていましたが、ご利用者様のサービス提供責任者会議で、ナイスケア世田谷介護センターのケアマネジャーの方々に出会い、何度かお話しするうちに、ご利用者様に対する対応や書類の作成も、とても丁寧にされていると感じました。
初めての分野で仕事をするにあたって、ケアマネジャーとしてしっかり学ぶことのできる会社に勤めたいと思い、インターネットで検索してみたら、居宅介護のほかにも、デイサービスや訪問介護、福祉用具など業務内容が多く、色々な分野のことも学べると思い、ナイスケアに入社しました。

大田介護センターには、日常的に相談できる雰囲気があります。
現在、ケアマネジャーは5人おりますが、私以外の方は全員主任ケアマネジャーで、様々な経験が豊富なので、それぞれに得意な分野を教えていただいたり、週に一回のミーティングでは、ご利用者様に合った事業所や訪問看護などを一緒に考えたり、困難なケースもみんなで話し合って解決することが出来ています。

ご利用者様の訪問や書類の作成など、予定通りにいかないこともありますが、これからも先輩の皆様に教えていただきながら、ケアマネジャーとして更にスキルアップし、ご利用者様のことを第一に考え、思いを大切にしていきたいと思っています。

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ナイスケア大田介護センター

橋本 ともみ

ナイスケアに入職して、早いもので、今年で10年が経ちました。
私は、介護支援専門員の資格を得て、すぐにナイスケアに入職しましたので、介護支援専門員の仕事に就いても10年になります。

その前は、特別養護老人ホームで、介護福祉士として6年間、現場で働いてきましたが、気が付けば、介護福祉士として働いていた年数をゆうに超えていました。

介護支援専門員として、10年間が経ったという実感はありません。それでも、仕事に就いた年に担当になった利用者様のお孫さんが幼稚園に入る前だったのに、今は中学受験をするまでに成長されていると、月日の重みを実感します。

年数だけが増え、介護支援専門員として、果たして成長できているのか自分自身、自身がなくなる時もありますが、利用者様の「ありがとう」という感謝の言葉や、終了した利用者様のご家族に偶然出会った時の明るい笑顔や、同じ職場のみんなの励ましにより、今もこうして何とか頑張れています。

これからも、介護支援専門員として勉強を続け、多くの経験を積み重ねながら、更にスキルアップしていきたいと思っています。

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ナイスケアたんぽぽサポートセンター

森井 克浩

ナイスケアの福祉用具事業部に入社し、10年が経ちました。
以前は、全く畑違いの職種だったので、介護保険制度のしくみも知らず、ヘルパー研修修了後は、登録ヘルパーとしてサービスに従事していました。

日頃、街中で見かける歩行補助杖やシルバーカー、雨の日も通院の為にレインコートを着て、車いすを操作している姿をよく見かけ、大変だな~と思っていましたが、まさか自分が介護職に就くとは…!

福祉用具は、介護を受ける方、介護をする方相互して、非常に便利な道具ですが、使用方法を間違えると、危険な道具に変わり、大きな事故へ繋がる可能性があります。ご使用いただく際には、身体・生活・介護環境など、様々な状況を踏まえた上で用具の選定をし、ご家族のみならず、ケアマネジャー、介護職員などにもわかりやすく説明する義務があります。

国際福祉機器展では、毎年祉用具はここがまで進化していると、改めて実感します。高齢者のみならず、障害をお持ちの方など、一人でも多くの方が、日常生活を自分らしく生活できるよう、福祉用具でお手伝いができるって素晴らしいことですよね。

ちなみに、私の息子が今年で4歳を迎え、日々自分で出来ることが多くなっている反面、両親は後期高齢者層の仲間入りをし、年相応に出来ない事も増えてきているのが現状です。
子供でも高齢者でも、最後まで自分らしく生きて欲しいという願いは変わりません。今や日本は飽食時代となり、文明の力も素晴らしく思いますが、心が寂しい国にはなって欲しくない。そして、次世代の方が、もっと福祉用具に興味を持ち、社会に貢献できるよう、私達も日々専門知識を磨き、ナイスケアの福祉用具事業部は日本一、スマートでありたいと思います。

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訪問介護ナイスケア

酒井 雅子

ナイスケアの訪問介護部は、現在4事業所あります。それぞれに地域性というか地元色があり、各事業所ともしっかりと地域に根差しています。そして、助けて下さっているヘルパーさんも地元色に準じた方が多いので、心構えも合わせ、常にみんなで協力しながら事業所が一体化していると感じています。
どの職員もコンプライアンスを保ちながら、ご利用者のことを一番に考え、「今、自分達ができるベストのことをしていきたい」と前向きな姿勢のスタッフやへルパーさんの熱い思いを大切にしたいと考えています。

スタッフには接遇などもしっかり教育し、やるべき事をやるべき時にして頂きたいと思っています。また、「自分だけできれば良い」という心根ではなく、困っているスタッフがいたら、自然に助け合うという風習もナイスケアにはあります。
社内には、仕事の「仕」の字は、「こころざしの志」という一句が有ります。それぞれの“思い”を達成できる事業所で、自分達の居場所をつくってほしい。成長する自分と向き合い、思いを高め、その方に向かうことが「志」という言葉に表わされるのではないかと考えます。

私は、事業所に登録の面接にいらしたヘルパーさんとお話しする中で「ナイスケアを好きになって下さいね」とお願いしています。おかげ様で、困った時にはいつも快く受けて下さり、助けてもらえることが多く、皆さんに支えていただいています。

管理職として、人に伝えることの難しさや、人を育てることの難しさを感じることは絶えませんが、先ずは自分で示し、自分の背中を見せて興味を持ってもらい、何かを感じとってもらうということを心掛けています。

更に持ち続ける課題として、今後もサービス提供責任者の更なる質の向上を図っていくこと、ご利用者の尊厳に重きを置き、ご家族の思い、ヘルパーさんやスタッフの思いを大切に考えられる事業所の運営を続けていきたいと思っています。

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訪問介護ナイスケア

大岡 仁

福祉の専門学校で介護福祉士の資格を取得して卒業後、関西の特別養護老人ホームで介護職を2年経験し、東京に上京しました。ハローワークで紹介されたナイスケアのデイサービスに5~6年勤務し、9年前に現在の訪問介護に異動しましたので、ナイスケアに入社して今年で15年目になります。

訪問介護は、ご利用者様のご自宅に伺うことで、住み慣れた環境でケアをすることが出来るので、地域でその人らしく安心して過ごせるように支援させていただいています。
ご利用者様の外出支援を行っているときなどに、いつものご自宅にいらっしゃる時の表情とは違う、とても明るい表情を見せて下さったりすることがあります。
また、お話しすることが困難な方の「サイン」を汲み取ることが出来たときや、ご利用者様ご本人が出来なかったことが、「自立支援」によって出来るようになったりしたときに喜びを感じます。

現在私は、サービス提供責任者業務を行っていますが、「チームケア」を何よりも大切にしています。一人のご利用者様のお宅に、複数のヘルパーさんがサービスに入っている場合も、常に情報の共有をし、みんなが同じ気持ち、同じ目標を持ってケアが出来るように連携をとっています。
ヘルパーさんは、それぞれに得意なことも不得意なこともありますが、不得意なことを一緒に克服したり、チャレンジしてスキルアップのお手伝いをさせていただきながら、ご利用者様に対するケアやサービスの質の向上を図っています。

これからも、ご利用者様やご家族様に、地域で安心して生活を続けていただくために、ご利用者様の気持ちに寄り添ったサービスが提供できるようにしていきたいと思います。

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ナイスケア訪問看護ステーション

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ナイスケア訪問看護ステーションでは、職員が常に笑顔でいる事をめざした職場環境の構築を管理者をはじめとして各職員が常に意識しています。

なぜ笑顔でいる事をめざすのか?
それは、ご利用者様が、様々な疾病等で気持ちも身体も不安でいっぱいな時に、処置等で訪れる私たち看護師が困った顔や怖い顔等で、ご利用者様を更に不安に陥れるような表情でいては状態の回復や保持に支障をきたしてしまいます。
だからこそ、私たち看護師は常に笑顔でいる、それが職場であってもプライベートであってもどんな環境でも笑顔でいられることで、ご利用者様の不安を緩和する一歩であるのだと思っています。そんな訪問看護師がそろっているナイスケア訪問看護ステーションの管理者として、私は率先して笑顔の看護師でいられるように常日頃、職場環境を含めて環境整備をおこなっています。そんなナイスケア訪問看護ステーションを皆さん、よろしくお願い致します。

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ナイスケア住宅改修部

相馬 賢治

ナイスケアに入社して、14年目になります。
以前は、仙台市内の建築関係の職場で、単身で建築設計をしていましたが、退職後、母が住んでいた東京に上京した際、以前から介護の仕事をしていた母に勧められて、住宅改修の仕事なら今までの経験も生かせるのではないかと思い、始めはアルバイトとして、ナイスケアに就職しました。
s3年半位デイサービスで、送迎用大型リフト付き車両の運転の仕事をしながら、介護の勉強をさせていただき、10年ほど前から、本格的に住宅改修部の仕事を始めましたが、デイサービスでの介護の経験は、今もとても役に立っています。

今、ご利用者とのかかわりの中で、親しみやご縁をとても感じるのは、幼少の頃から母親が働いていたため長い間、祖母と一緒に過ごしたということもあるのかも知れません。
地域のご利用者が安心して、快適に暮らしていけるように、プランナーであるケアマネジャーと連携を取りながら、建築の専門家として、何かお手伝いできることをしていきたいと思っています。
先ずは、介護保険の適用になるか否かということではなく、ご利用者が何に困っていて、どうして欲しいと望んでいらっしゃるのか、ご利用者のお話をしっかりと聞いて、ご要望をすべて伺うようにしています。そして、その上で幾つかのプランを立ててご提案し、選択していただいています。
住宅改修の仕事は、ご利用者・ご家族・ケアマネジャーなど、年間200人位の方々とかかわりを持ちますので、日々新しい発見があります。
以前、手すりを一本取り付けただけで、ご利用者にすごく喜んでいただいたことや、住宅改修をしたことにより、今まで出来なかったことが出来るようになったというお話を、ご家族やケアマネジャーに後から伺うこともありました。
また、工事が終わるまでに2~3回しかお会いしていないのに、ご利用者やご家族が覚えていて下さって、数年後に新たなご相談をいただいたり、ご利用者を通してかかわったケアマネジャーから信頼いただき、他のご利用者の依頼を受けることもあり、たくさんの方々との出会いの中で、好きな仕事をしながら満足していただける喜びを感じています。

これからも、今までの経験を活かしながら地域に貢献し、少しでも地元の役に立てるように日々勉強し、努力していきたいと思います。そして、建築に携わる者として「ご利用者の望みを叶える」ということを思い続けて、仕事をして行きたいと考えています。